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国民年金の資産運用は受益者に選択権を与えよう

 国民年金や厚生年金の運用を行っている年金積立金管理運用独立行政法人(以下「GPIF」)が、2015年7~9月期で7兆円を超える運用損(含み損)を出したことが、一時期話題となった。2016年初頭からの株安により、運用損は更に膨らんでいることが予想される。マスメディアや野党、一部の専門家がこれを問題視するのに対し、監督官庁の厚生労働省やGPIFは「一時的に損失が出たからと、一喜一憂すべきではありません」という釈明を行っている。本年に入ってからは、四半期ごとであった運用実績の開示を、年1回に減らすことを検討しているが、これも「損失隠し」と批判される有様である。  GPIFは「投資原則」として「年金積立金の運用は、専ら被保険者の利益のために、長期的な観点から、安全かつ効率的に行う」を第一に掲げているが、このようなことでは「専ら被保険者の利益のため」という姿勢を感じることは難しい。  もっとも、これはGPIFの担当者や責任者レベルの話ではない。国民年金の被保険者の経済事情は、国民一人一人によって異なるにも関わらず「専ら被保険者の利益のため」に、GPIFに一括運用をしろという方が間違っているのではなかろうか。国民年金は、賦課方式を積み立て方式に改めた上で、国民一人一人が自ら資産運用をする確定拠出型に切り替えることが望ましい。  GPIFは2014年に15.2兆円(+12.27%)の運用益を上げており、2001年の市場運用開始時から2014年末までで、45兆円の運用益が積みあがっている。順調な運用結果を受けてか、GPIFは2014年10月末に、日本株式と外貨建て資産への配分比率を大幅に引き上げた。2016年5月時点の資産構成割合は、国内株式が23.35%、外国株式が22.82%であり、実に45%の資産が株式だ。  2015年7月以降、この株式の高い組み入れが、国民年金資産の評価損を発生させているものと考えられる。2016年3月末時点では、国内株式は低迷を続け、外国株式は円高の影響もあり、GPIFの年度損失は5兆円を超えたと推計されている。  年金は運用リスクかインフレリスクのどちらかを背負わなければならない。資産配分比率は、運用リスクとインフレリスクの均衡する点を、金融の高度専門性に基づいて決定すればよく、その結果が日本株式と外貨建て資産への配分比率引き上げであるならば、GPIFの説明の通り、一時的な損失に一喜一憂する必要はない。仮に損失が発生したとしても、それはインフレリスクに対抗する正当な運用リスクによってもたらされる。  では、年金は運用リスク、インフレリスクのどちらに、どの程度備えればよいのか。運用リスクは資産のボラティリティ、インフレリスクは利子率を将来資産の割引率と見做して、これを比較してみよう。  国内株式のボラティリティは約25%であるので、「1年で25%の運用損が起きる可能性が約15%程度」と考えることができる。国民年金のポートフォリオ全体のボラティリティは、開示情報からだけでは正確な計算ができないものの、複数の条件を仮定したシミュレーションにより10~15%と見積もることができよう(※)。  一方、2016年度の物価上昇率は、日銀の展望リポートに見通しとしてある通り、0.8%とする。これを基に計算すると、現在のペースで物価上昇が10年間継続しても、年金資産は7%程度しか目減りしない。物価上昇率が日銀の目指す2%に届き、その状況が10年間続くというシナリオであっても、18%程度の目減りに留まる。  10年で7%(極めて高く見積もっても18%)の資産が目減りするインフレリスクに備えるために、(発生する確率が15%だったとしても)年15%の運用損リスクを「毎年に渡って」抱え続けることは、物価上昇に対抗するための運用という意味では、いささかナンセンスではなかろうか。国民年金の抱えている運用リスクは、インフレリスクよりも大きい。これでは、国民よりも証券会社を儲けさせるための資産配分という批判が出るのも無理はない。  ただし、年金資産のリスク分析を基に、運用が適切でないと断ずるには、少々の飛躍がある。運用損リスクを抱えても高齢化に伴う年金支払い増に備える必要があり、国民のリスク許容度の範囲内で運用されていると言われた場合に、これを否定する術がないからだ。国民のリスク許容度を決定できる適切な指標は存在せず、政治判断にならざるを得ないため、ここは言いたい放題になる。  国民が自らのリスク許容度を基に、「年金が目減りするリスクはあるが、上手く運用できれば少子高齢化を乗り越えてこれからも安定して年金支給を続けられるので、リスクを取る」という政治判断を支持しているのであれば、それは正当なリスクになってしまう。GPIFの掲げる「年金財政上必要な利回りを最低限のリスクで確保する」の示す「最低限のリスクの範囲内にある」と言い切られては、反論のしようがない。  投資の世界において、リスク(ボラティリティ)と期待リターンはトレードオフの関係にあり、かつ、リスク許容度は投資家のリスク耐性を鑑みて決める。国民のリスク耐性は国民一人一人の経済事情によって異なり、あらゆる国民に適するものは存在しないため、仮に一概に決めるのであれば、政治判断に委ねるより他にないだろう。  このような状況に置かれているGPIFに「年金積立金の運用は、専ら被保険者の利益のために、長期的な観点から、安全かつ効率的に行う」という存在意義を果たせというのは、筆者は酷ですらあると考える。では、どうするべきなのか。筆者は、GPIFという組織が今のままである限り、その存在意義は果たせないのかもしれない。むしろGPIFを解体・再編し、国民が年金を自らのリスク許容度に応じて、自分で運用することが最良の方法ではなかろうか。  これからの国民年金制度は、国民にはあらかじめ定められた保険金を納付する義務を課すものの、運用は民間の金融商品を活用し、個人の責任で行う。これが、この問題の一つの解決策になると考えられる。国民に金融リテラシーを身に付けさせる必要はあるものの、国民が自身のリスク許容度に応じた運用ができ、運用の責任もまた、運用先を決定した個人に帰属するからだ。  GPIFが運用してきた年金積立金を、これまでの拠出額に応じて国民一人一人に割り戻す。これを、生活保護受給世帯者などを除き、満65歳を迎えるまで解約不能として、基準を満たした民間金融商品へ個人で投資を行う。GPIFには運用の監視、国民の年金運用先として適する金融商品の基準作り、運用機関破綻時の備えなどの役割を、新たに担わせることができる。  日本の企業は、退職給付会計の受難を逃れるためという別の理由からではあるが、退職金を確定給付型から確定拠出型に次々と移行を進め、運用の責任を社員個人に委ねている。一方、そうした縛りのない国は、多額の金を強制力によって吸い上げ、GPIFを介して運用することを続けている。  本稿で掲げた制度を導入すれば、国民年金の運用責任は国民一人一人に帰属し、GPIFのような機関の運用失敗によって、国民全員が不幸になることを避けることができる。義務教育などによって、国民の金融リテラシーを向上させる施策が不可欠であるが、国民がマネーについて賢くなることは、国にとってもメリットが大きい。  GPIFには、常に金融機関や一部官僚らの利権の問題が絡んでくる。たとえ国民のためになることであろうと、政治決断としてGPIFの解体実現を期待することは難しい。これは、(元市場関係者である)コンサルタントとして、悲しくも認めざるを得ない現実だろう。 ※実際のリスク分析には、債券資産の組み入れや、分散効果によるボラティリティの減少を合わせて計算する必要があるが、GPIFの開示するデータのみでは、この算出は不可能である。開示されている月次リターンから算出するには、最低でも36ヶ月分のデータが必要であるが、2014年10月の資産配分比率変更から、まだ18ヶ月しか経過しておらずデータが足りない。  今回は、国民年金の各資産のリスクを基に、ポートフォリオ全体のボラティリティを算出したが、一部アセットクラスは採用ファンドの過半数がアクティブファンドであるため、これもどこまで妥当か判然とし難い。複数の条件でシミュレーションした結果は、10.0%~14.1%であった。

Zarathustra II.
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