人がどのようにモノ・サービスの購入を決定するか。顧客はモノ・サービスをどのように知り、購買するか。消費者の「行動」、「思考」、「感情」等のプロセスを指す「カスタマージャーニー」の概念が唱えられて久しい。そして現在、カスタマージャーニーを支配するため、各種のデジタルマーケティング手法が発展しつつある。 スマートフォンをはじめとする携帯端末の発展により、企業は消費者の行動データを取得しやすくなった。これにより、人の購買行動を「個人別に」分析することが可能となり、購買に結び付くだろう膨大なデータと、そのデータをベースにした、個人にとって最適なマーケティング活動の実施が叫ばれるようになった。これがデジタルマーケティングの始まりであり、本質であると筆者は考える。 概念としては素晴らしいものの、限られた一部企業を除いて、未だにデジタルマーケティングの成功事例はほとんど聞かない。集めたデータからカスタマージャーニーを見出せない、そもそもデータを集めるためのアプリケーションを使ってもらえない、最適な広告を打てていない。優れた企業をもってしても、デジタルマーケティングで成功することはまだまだ難しいようだ。 筆者は、今のデジタルマーケティング市場で行われているアプリケーションを使ったアプローチの一部は不毛な努力と考える。デジタルマーケティングの変遷を考えたとき、現在業界内で聞くことのない「クラウドに情報を貯めこまないアプローチ」への対応を、将来の布石として提案したい。 これにより、①消費者から情報を集めるコストの低減、②個々の消費者により即した需要喚起、が可能となり、それは「エッジヘビーコンピューティング(ネットワークにおける端末側での演算)」の活用で可能になると考えている。スマートフォンはデジタルマーケティングの発展に関わらず、エッジヘビー化が進むと考えられており、その流れを前提としたデジタルマーケティングのあり方を考えてみたい。 まずは現在のデジタルマーケティングによる、一般的なカスタマージャーニーの築き方を確認しよう。 広告出稿者は、スマートフォンのアプリケーション等を通じて、消費者の膨大な行動・購買データをクラウド上に蓄積する。多くの出稿者はTVCM等のマス広告を併用しており、「ネット」に「マス」を加え、更には売り場等の「リアル」を統合したマーケティング効果の最大化を狙い、蓄積した個々のデータを分析し、再現性のあるカスタマージャーニーを見出した上で、最適なタイミングで広告を出稿する。広告の打ち方と購買状況は、「ダッシュボード」を通じて多数の指標で確認しつづけ、DSP(デマンドサイドプラットフォーム)によってコントロールする。この時のデータ分析は、ほとんどがクラウド上で行われる。 このモデルが、現在のところ上手くいっていない主な理由は下記にある。 1.データ収集の難易度が高い 一企業にとって、消費者が喜んで情報提供をしてくれる仕組みを構築することはほぼ不可能である。 現在、スマートフォンアプリの作成でこれを成し遂げようという企業、アプリの買収を検討した企業があるが、成功と呼べる事例がほぼないのは、データ収集の難易度はテクノロジー的には可能でも、実際に行おうとすると極めて高いことが一因になると考えられる。 消費者が一企業の思惑に従って、個人情報を提供するスマートフォンアプリを導入することは稀である。元来自社のファンでもない限り、特定の企業に喜んで情報提供をする消費者はまずいない。 これを攻略するため、先進企業は「多くの人が使いたがるプラットフォームのようなアプリケーション」を入手しようとする。しかし、このようなアプリケーションは簡単に作ることはできず、いざ買収しようにも困難が伴う。資生堂のデジタルマーケティング責任者は、Instagramがfacebookに買収される遥か前に、自社で買収したいと上層部と掛け合ったが、社内の理解を得られなかったという†1。 よきプラットフォームアプリ製作者の側も、獲得した顧客層をデジタルマーケティングに活用するという発想に乏しい。無料マンガアプリのcomicoはマンガコンテンツの良質なプラットフォームを築いていたが、自らのプラットフォームで得た資産を他社に提供する選択に至らず、コンテンツ課金に走った。ユーザーから不評の声が多数寄せられ、マネタイズの形を一部変更せざるを得なくなり、ユーザー数も減少したとみられる†2。comicoをデジタルマーケティングのプラットフォームアプリとして着目し出資を申し出た企業がないのであれば、勿体ない話であると筆者は感じる。 消費者による個人情報提供への抵抗感は、今後高まることが予想される。スマートフォンiOSの6以降が追跡型広告の一部を制限できるようになったり、Android OSはバージョンアップの都度、アプリケーションによるアクセス権を細かく設定できるようになったりしている。 自主的なデータ提供はますます見込みにくくなると予想でき、2014年に改正された個人情報保護法で若干ハードルが下がったとしても、特定の個人をトレーサビリティすることの障壁は大きい。 現在、企業が集めている情報は、十分な数の消費者に対してカスタマージャーニーを築くには到底足りない状態だろうと、そして今後も足りないままになるだろうと推認できる。 2.有効な購買促進活動を見出すことができない 消費者の膨大なデータがあっても、個々の消費者レベルのカスタマージャーニーを築くことができないケースがある。大まかなカスタマージャーニーマップはどこの企業でも描いているが、本来のデジタルマーケティングの強みでもある「個々のマーケティング」に落とし込むことができていない。これまでのセグメントマーケティングの域を出ず、個別マーケティングに行きついている企業は僅かである。 有効な購買促進活動を見出す分析ができている企業に、リクルートマーケティングパートナーズ社がある。同社は、「受験サプリ(現サービス名:スタディサプリ大学受験講座)」において、大学受験を目指す高校生に向けた講義動画の見放題サービスを活用している。その際、受講者個人ごとの学習状況を解析、クラスタリングされた結果を通じて、学習の順序や日時について推奨、利用を可能とし、この機能はアプリの大ヒットを支えた†3,4。 この成功事例は、「受講状況」という情報が、いかなる個人に対しても、次の受講を促すカスタマージャーニーを決定づける要因であるためと考えることができる。他の指標から受ける影響が機微であるとき、有効な購買促進活動を見出すための分析はシンプルになる。 一方、一般の商品においては、複数の情報が多岐に渡り購買要因となる。しかも、影響の度合いはもとより、どの指標が購買行動に影響を及ぼすかも、個人によって異なる。現在のクラウドコンピューティングは、その膨大な情報から個々のカスタマージャーニーを見出すに至っていないと考えられる†5。個人によって異なる購買行動の影響要因を、クラウドサーバーで一括計算することは技術的にまだ困難なようだ。 上記のような現状に対し、デジタルマーケティングの先進企業では、各社各様の試みを始めているが、現在のところ取られている手法は、概ね下記の2つに集約できると考えられる。 A) スマートフォンアプリの活用 多くの自社顧客層が活用するアプリケーションを開発する。ただし、自社商品の購入、検索、紹介を主としたアプリケーションは、既にファンとなっている顧客以外の導入が見込めないことから、先進企業は既に流行している「コンテンツ・プラットフォーム・アプリケーション」の買収も検討し出している。例えば、過去の資生堂がInstagramの買収を検討したように、動画共有アプリのVine、自撮りアプリのSnowなどとの提携が望ましいとする声もある†6。 B) 既存通信インフラの活用 通信回線事業者等、消費者の通信内容を容易に取得できる事業者がデータ取得・分析を主導する。 日本でこの試みをリードするのはKDDIで(NTTdomoco、Softbankは遅れを取っている)、子会社がDMP(データマネジメントプラットフォーム)を分析、結果を活用できるプラットフォームを各社に提供、市場のロックインを狙っている†7。 筆者は、上記「A」に強い違和感を覚える。上記「B」は有効な戦略だが、日本でこの手法を取ることができるのは、携帯電話回線を提供する大手三社だけだ。他企業のほとんどは「A」の戦略を取っている。 そしてデジタルマーケティングのほとんどの主体が「アプリケーションの提供」という、消費者の情報を集めようとする障壁の高い戦いをレッドオーシャンで繰り広げている。多くの消費者が使用するプラットフォームアプリは常に隆盛の波に飲まれ、多額の開発費をかけても成功する見込みは少ない。 多くの企業は情報の取得で躓くので、情報の分析まで行きつかない。やっとデータを貯めこむことに成功した少数の企業では、有用な分析ができずに、個人別のマーケティングに適したカスタマージャーニーを見出せてない。このような悪循環があるようにも見える。何か別のアプローチを見出すことはできないものだろうか。 企業はデータ蓄積の基盤に大きなコストをかけていながら、活用となればプッシュ型広告やDM送付等の領域に限られている。店頭等のリアルな現場が、RFIDやiBeaconの発展によりリアルタイムの情報提供でカスタマージャーニーを築いている中で、多くのデジタルマーケターは、なぜか消費者に嫌われながらデータを貯めこむことに血眼をあげている。そもそも個人情報のデータを無理にクラウドへ無理に蓄積する必要性はあるのだろうか。 筆者は、「スマートフォンでエッジヘビーコンピューティングを行うデジタルマーケティング」であれば、上記の問題が解決できると考え、提唱したい。これにより、①個人情報を第三者に提供しない、②有効な購買促進活動を見出しやすくする、の双方が可能になると考えている。 エッジヘビーコンピューティングとは、情報をクラウドサーバー等に送信することなく、端末側で処理する手法である。AIの世界で使用される用語だ。既に実用化が進んでおり、技術的にも難しくない。端末が個人情報を第三者に提供せずとも、自動的に最適な販促を行い、良質なカスタマージャーニーを形成できるはずだ。 クラウド上の情報をDMPで解析、これをベースにDSPで個々に広告を打つより、DMPから得られる法則性をあらかじめエッジに搭載しておき、DSPの役割をエッジに果たさせる。この時、AIに出稿のタイミングと手法を任せることが望ましい。なぜなら、デジタルマーケティングの元来目標である「個々に応じた需要喚起」を成し遂げるには、次の消費に影響する情報の特定精度を向上させる必要があるからだ。有効な購買促進活動が個々に異なるのであれば、クラウドヘビーとするよりエッジヘビーとした方が、個人を色濃く反映した即座の分析が可能となるからだ。 スマートフォン等の個人デバイスにはエッジヘビーコンピューティングの機能が搭載されていくとする研究者は多く存在する†8。ハードウェアにエッジヘビーコンピューティングを行うデジタルマーケティング用のAIが搭載されれば、デジタルマーケティングのあり方は大きく変わるかもしれない。にも関わらず、この流れを唱える動きや、アプリケーションに頼らないデジタルマーケティングを進める声は少ない。 デジタルマーケティングを進める企業は、今の路線を突き進むだけでなく、消費者の指向、情報の特性、ハードの進化を総合的に捉え直してみてはいかがだろう。 デジタルマーケティングの発展により、世界の消費はそのあり方を変えようとしている。この覇権を握るのは誰になるか。その過程でエッジヘビーコンピューティングに着目する企業が出てこないか、興味を持ちつつ注視している今日この頃である。 †1:資生堂ジャパン App Annie講演にて(2016/11/29) †2:comico リニューアルのお知らせ(2016/11/29) †3:日経情報ストラテジー『データサイエンティストの世界』日経BP社(2016) †4:Insight for D(2016/8/29) †5:Supership(2016/12/12) †6:花王 App Annie講演にて(2016/11/29) †7:Syn.alliance †8:北陸先端科学技術大、科学技術振興機構他
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