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リーツェンの桜

 先週末、実家近くの墨田川沿いを訪れたのだが、ここ数年には無かった訪日客が溢れる風景に日常が戻ってきたのを感じた。美しい桜色に春の訪れを祝いたくなる気持ちはどの国の人も同じなのだろうか、青空に舞う桜に皆が笑顔を零していた。4月に小学校に入学する甥は、ひらひらと舞う花びらを掴もうと無邪気に駆け回っていた。

 

 最近は6歳の甥の成長に驚かされることばかりであるが、私自身、子供が産まれたこともあり、ここ数か月のところ発達心理学に関心を向けている。一般的に使われている「発達」とは、子供から青年期の身体的な成長がイメージされるが、発達心理学では、身体的な成長のみならず、高齢者になっても経験から得られる知恵や判断力が身につくように、精神的な成長も含めて「発達」として捉えている。ゆりかご(生)から墓場(死)まで、生涯を通しての心身の変化・成長の研究を行うのが発達心理学である。

 

 今日では誰にも聞き馴染みのある「アイデンティティ(自己同一性)」という概念も発達心理学の中から生まれた。心理学辞典(1999)による定義によれば、「『自分は何者か』『自分の目指す道は何か』『自分の人生の目的は何か』『自分の存在意義は何か』など、自己を社会のなかに位置づける問いかけに対して、肯定的かつ確信的に回答できること」とある。この言葉の生みの親であるエリク・H・エリクソン(1902-1994)は、発達心理学で第一人者であり、最も影響力のあった精神分析家の一人とされているが、彼自身が生涯自らのアイデンティティに悩んだことから、この言葉は生み出された。

 

 ドイツ帝国のフランクフルトでユダヤ系デンマーク人の母から産まれたエリクソンは、金髪碧眼の北欧系な風貌であったため、見た目を理由にユダヤ系のコミュニティで差別を受けた。また、ドイツ人コミュニティでもユダヤ人であるという理由で排除され、二重の差別に苦しみながら育った。それに加えて、実父の出自や所在が分からない状態のうえ、母の再婚相手のドイツ人医師の風貌とは似ても似つかない容姿であったという。この背景を知れば、自分は誰で、自分の存在の根をどこに持っているのかという疑問が、彼の探求の原点になったことは想像に難くない。

 

 エリクソンによれば、人生の発達の段階でアイデンティティを獲得するためには青年期(12歳~18歳)を重要な期間と位置付けている。アイデンティティは人間関係、社会的役割、性的役割、職業、政治、文化、宗教らに大きく影響を受け形成されるが、青年期というのは自己を肯定する要素と否定する要素が常にせめぎ合っている状態である。そのため、この時期には「自分が思っている自分」と「他者が思っている自分」を合致させ、「自らの人生を自らが主人公になって生きていく感覚」を得ることがアイデンティティの獲得に近づくと彼は言っている。

 

 アイデンティティの獲得が上手くできなかった場合は、対人的な関りへの不安を抱え、自分のやるべき事が分からないまま日々を過ごすことが増える。また、熱狂的なイデオロギーに傾いてしまう事もあるという。かくいう私自身も「自分が何者か」という問いに対して明確な答えなど持てていないので、このように聞くと不安にも駆られるが、もちろんアイデンティティは青年期のみに獲得されるものではない。青年期以降の人生においても、何度と自己内でのせめぎ合いを繰り返して再構築されるものであるので、いつどの年齢であっても「自分が思っている自分」と「他者が思っている自分」を合致させること、「自らの人生を自らが主人公になって生きていく感覚」を持とうとする姿勢こそが重要なのだと私は考える。

 

 話は少し変わるが、ドイツの東側、ポーランドとの国境近くにリーツェンという町にも日本の桜が咲く。第二次世界大戦中ナチス政権のドイツで医療に従事した肥沼信次(こえぬまのぶつぐ)氏を称えて植えられた桜だそうだ。当時、彼は日本大使館の帰国勧告を受け入れず、徴兵で医師のいなくなったリーツェンに赴き、チフスで逝去する最後まで医療に従事したという。まさに彼は医師としてのアイデンティティを自己内に確立させて、人生の意味を見つけ、使命を全うしたのであろう。「最後にもう一度日本の桜が見たかった。ドイツのみんなにも見せたかった」という彼の言葉へ感謝と敬意を表し、今もなおリーツェンの桜は地元に人に愛されているという。

 

 古来より日本では桜を愛でてきた。今もなお花見が伝統的な文化として残っているが、桜を見て日本らしさや誇りを感じるのは私だけではないだろう。花見は日本人としてのアイデンティティの確認なのかもしれない。

 

 P.S次稿は第二次世界大戦中のドイツに関連して、あの人物に焦点を当て発達心理学の理解を深めていきたいと思う。

 

キルシェ・ブリューテ

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