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白と黒の間の無限の可能性

 人は様々な選択をする。生活、人間関係、自己成長など、日々、選択肢を吟味して意思決定をするというループを繰り返している。特にビジネスの世界では、意思決定は非常に重要である。

 

 書店では決断力関連のノウハウ本がたくさん並び、ネットではYouTubeやオンラインサロンなどで「これでうまく意思決定ができる」と意気揚々と話す人たちでひしめき合っている。それだけ、ビジネスパーソンに意思決定スキルが求められているということなのだが、どうにもこの風潮に違和感を覚えてしまう。

 

 というのも、このような手法をかじって、果たして精度の高い意思決定ができるだろうか。もちろん、基本的な意思決定の型が必要であることは理解できるが、型さえ覚えれば全ての問題が解決できるのかといえば、そんなに甘いものではない。

 

 よくあるものとして、物事をMECE(もれなくダブりなく)に整理して意思決定につなげるロジックツリーがあるが、可能性のある全ての選択肢を吟味できるものではない。綺麗に整理したようで、ロジックツリーを駆使した者が達成したいゴールにつながる選択肢を恣意的に用意している場合もある。むしろ、俎上に載せられた選択肢以外に大事な意思決定要素が隠されている可能性だってあるかもしれない。

 

 また少し極端な話をすると、昨今自動運転の実現に様々な企業が躍起になっているが、人の介入を前提としないレベル4の公道走行が始まれば、トロッコ問題のような倫理的なジレンマと必然的に向き合わなければならなくなる。例えば、自動運転中に歩行者が急に飛び出してきて、自動運転車がブレーキをかける余裕がない場合、歩行者をひいてしまう。一方、急にハンドルを切れば他の車にぶつかってしまう。このとき、設計者やプログラマーは、自動運転システムのアルゴリズムをどのように組めばよいだろうか。(*¹)

 

 そう、世の中には白黒つけられない問題が多いのだ。にもかかわらず、そのような問題を単純化して、無理矢理白黒つける意思決定をしてはいないだろうか。問題を単純化せずに、白と黒の間で問題に向き合い続けながら、白と黒以外の選択肢を模索することこそ必要なのではないか。因みに、すぐに白黒はっきりつける意思決定をすることが悪いということを申し上げたいのではない。むしろ、生きていく上で単純化することは人間の本能であり、一瞬のうちに判断しなければならない重要な局面だってある。

 

 ここでお伝えしたいのは、白と黒という二元論に閉じた発想をしてしまい、その間に隠された可能性や選択肢を見失っていることや、物事を両極端のどちらかで捉えることに満足してしまい、それ以上深く考えることができない浅い人間になってしまうというリスクがあるということである。これらによって、意思決定の精度を低下させてしまう可能性を懸念しているのだ。

 

 では、私たちビジネスパーソンは、このリスクをどのように回避すればよいだろうか。ヒントになりそうなものとして、昔の先人が残してくれた叡智があるので取り上げてみよう。それは、中庸の徳*¹というものだ。

 

 “中庸の徳”とは、バランスの良い思考と言動ができることが最高の人徳であるとした教えである。例えば、アリストテレスは、「ニコマコス倫理学」の中で、“臆病と無謀の中庸として勇敢”という徳があるといった事例を挙げている。極端に少ないと臆病になるが、過剰であると無謀になるため、両者のちょうどよいところに勇敢さという徳があるのだそうだ。

 

 また人は、無意識の偏見を持ち、過去の成功体験に囚われやすいため、バランスが偏った思考をしてしまいがちだ。偏った思考で行動をすると、意思決定はうまくいかなくなる。自身が色眼鏡をかけていることをメタ認知し、問題を多角的な視点でフラット(中庸)に観察することで、物事の本質を捉えることができるのだ。中庸の徳は、まさに白と黒の間のグレーゾーンに焦点を当てたものであり、意思決定の精度を高める土台となるものである。

 

 とはいえ、中庸の徳に至ることもそう簡単ではない。以下では、中庸の徳に近づくための参考として、3つの考え方をご紹介したい。

 

①    無意識に白黒つけていることを自覚する

まず、自身が安易に白黒つけていることに気が付かなければ何も始まらない。白黒つける思考に慣れた人は、思い込みで物事を決めつける話し方をすることがある。
「絶対~思う。」「いつも~だ。」「みんな~と言っている。」「~に決まっているはずだ。」などの言葉を無意識に使っているかを振り返ってみることで、自身が安易に白黒つけるタイプがどうかを確認してみてもらいたい。そのようなタイプであれば、“他の考え方もあるのではないか”とか“そう言い切れるのか”といった視点で物事を捉えなおすことを意識するとよい。

 

②    白黒つけられた物事をあえて疑う

人は、主観やエゴで物事に白黒つけている。しかし、状況の変化によって、ある時はプラスになり、また別の時はマイナスになる場合だってある。例えば、昨今環境にやさしいという視点で、使い捨てのプラスチックカップよりもリユースカップの使用を促す風潮があったが、実はリユースカップを100回使っても、使い捨てのプラスチックカップに比べて、二酸化炭素の排出量が多くエコではない場合があるという実験結果(*²)が出ている。このような事例はたくさんあるが、損得や善悪の二元論で片づけられているものを、本当にそうなのかと一度疑ってみることで、状況や視点、またはプロセスによっても、物事の結果は変わるというフラットなものの見方ができるようになる。
 

③    白黒つけないモヤモヤな状態に慣れる

先ほども触れたが、物事を白黒つけて単純化することは本能であり、人は単純化によってストレスフルな環境を脱却しようとしている。しかし、そのストレスのかかる状態に慣れることも重要だ。グレーゾーンに踏み込むと、モヤモヤする違和感が生じてストレスがかかる場合があるが、そのモヤモヤで悩むことこそ白黒ではない別の解決策につながる可能性があるのだ。例えば、白と黒という対立概念の狭間で悩む中、両者を統合してシナジーを生み出し、別次元の選択肢を新たに生み出すという、弁証法的思考法(止揚*³)がある。違和感こそチャンスであり、モヤモヤな状態になった時こそ、その状態でい続けること(時には放置や保留すること)に慣れるとよい。

 

 ご紹介した3つの考え方は一例に過ぎないが、ご自身に合うものを普段の仕事で活用してみてはどうだろうか。物事を単純化していると思った時は、複雑で大変なプロセスの中にこそ、何らかの解決の糸口になるものが眠っていると言い聞かせて、すぐに答えを出そうとしないという選択肢を持つこともお勧めする。

 

 Mr. Childrenの歌にGIFTという曲がある。この歌詞がとても好きなのだが、中庸の徳を表現している気がしてならない。

 

 「“白か黒かで答えろ”という難題を突きつけられ、ぶち当たった壁の前で僕らはまた迷っている、迷っているけど、白と黒のその間に無限の色が広がっている…」

 

 そう言えば、同僚がこんな言葉をモットーにしていることを思い出した。

 「曖昧を愛する」これも1つの中庸の徳であると思う。

 

 答えの見えない時代だからこそ、無理に白黒つけて答えを出さずに、その間に未知なる色が広がっていく世界を想い浮かべてみようではないか。そんな物思いにふける七夕の夜であった。

U2
 

*¹ 自動運転に潜む「トロッコ問題」というジレンマを引用編集
https://news.yahoo.co.jp/articles/a3aed1a1b6e62fbe90b2cd708305a403601431a0?page=2 

*² NHKクローズアップ現代 それ本当にエコ!? 徹底検証"実際の効果"を引用
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4716/

*³ ドイツの哲学者であるヘーゲルが弁証法の中で提唱した概念で、「矛盾する諸要素を

対立と闘争の過程を通じて発展的に統一すること」を意味す

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