近年、日本では「働き方改革」という言葉が頻繁に耳にされるようになった。その背景には、長時間労働や労働者の健康への懸念から、心身ともに安定した働き方を求める動きが広まったことが挙げられる。同時に、パワーハラスメントも社会的な問題として取り上げられ、労働者の権利や尊厳を守る必要性が強調されるようにもなった。このような流れから、労働基準法の改正(対大企業ではあるが)や職場の心理的安全性の重視など、ビジネスの現場の風土においても、大きな変化を求められている。
しかし、これらの変化が過剰に意識されることで、職場形成において別の問題が生じはじめている。それは「ぬるい職場」や「さむい職場」が形成される傾向が現れはじめたことである。
「ぬるい職場」と「さむい職場」とは『心理的安全性のつくりかた(石井遼介著)』の中で語られているもので、職場の特徴を“心理的安全性”と“仕事の基準”の2軸、4象限で分類したものの2つの要素である。
心理的安全性×仕事の基準を軸としたマトリクス
心理的安全性が高く、仕事の基準が低い職場 - ぬるい職場
心理的安全性が低く、仕事の基準が低い職場 - さむい職場
心理的安全性が低く、仕事の基準が低い職場 - きつい職場
心理的安全性が高く、仕事の基準が高い職場 - 学習する職場
マネジャーやリーダーが、パワーハラスメントや過重労働に対して過敏に警戒するあまり、業務上言わなければならないことを躊躇ってしまう。また、社会人としての在り方やビジネス上のマナーについて、厳しく指導する必要があっても、メンバーへの忖度を優先し、オブラートに包んだ物言いになり、相手に正確な意図も伝わることなく、指導すら成り立たなくなりはじめている。
その結果、肝心の組織マネジメントはおろそかになり、メンバーにとって居心地はいいが厳しさや仕事に対する強い意欲が希薄化した組織(ぬるい職場、さむい職場)が生まれるのである。それらは言わずもがな業績にもネガティブな影響が及ぶリスクを孕んでいる。
実際に発生した「ぬるい職場」の例をみると、会議の場において発言をしている人がファシリテーター役のみで、他の参加者からの発言はほとんどなく、リアクションも薄い状態である。発言しなくても特に咎められることはないので、建設的ではない会議が横行してしまう。
また、「ぬるい職場」や「さむい職場」は、心理的な安全を感じる場ではあるが、仕事の基準は低いため、アウトプットのクオリティが上がることはなく、納期がいつの間にか伸びてしまったり、目標未達が続いたとしても自発的に対策を講じるような動きには繋がらないだろう。
このような組織に蔓延している思考は、「まぁ、いっか」である。組織の「異変」に気が付いたとしても、「まぁ、いっか」でやり過ごしてしまう。面倒なことには関りを持たずに、できるだけ回避しようとする。仕事のプレッシャーは少ないので、職場での居心地は良いだろうが、組織や自分自身の成長を期待することは難しい(そもそも当事者が自身の成長を望んでいない場合もあるのだが・・)。
そのような状態から、心理的安全性が高く仕事の基準が高い職場である「学習する職場」にするためには、リーダーが仕事の基準を明確に示していくことから始まる。
仕事の基準は組織の方針やリーダーのポリシーよって異なる場合もあるが、普遍的なものとして顧客(サービスの提供先)が求める期待水準を基準とするのがわかりやすい。「ぬるい職場」では、顧客目線ではなくメンバー目線で基準を決めてしまうことになり、これでは顧客への提供価値があがることはないし、なによりメンバー目線の基準では、競合他社との競争に勝つことはできない。顧客の要望や期待を把握し、それを業務の基準として明示することで、組織内での認識のずれを防ぐことができる。
ただし、仕事の基準を明示することは容易ではない。顧客の期待や要望は常に変化するものなので、リーダーは顧客の期待を把握し続けるアンテナを張っておかなければならない。チームメンバーにもその重要性を伝え、いずれは全メンバーが顧客の期待にアンテナを張り、仕事の基準に関して組織に提案するようになると、組織の力は大きく向上する。
「ぬるい職場」「さむい職場」から「学習する職場」へ移行するうえで注意すべきことは、変化の過程で「きつい職場」になる可能性があることだ。「ぬるい職場」「さむい職場」から脱却するためには、これまでの「ぬるさ」から脱却しなくてはならず、ぬるま湯に浸かっていた、メンバーにとっては、厳しさを感じることになり、心理的に安全ではない「きつい職場」になってしまったと感じるかもしれない。
「きつい職場」は、一見“士気”が高くみえるが、リーダーや組織に対して、仕事の質を高めるための提案や反対意見を述べたり、組織や業務の根本的な意義について問い直したりすることは求められない傾向が強い。トップダウンでの業務指示と上司が必要としている報告は求められるが、それ以外の提案などは積極的に求めない。メンバーも上司から期待されないことを敢えてしようとは思わず、自分を“守る”ことに意識が向いてしまい、仕事の質向上や顧客への提供価値の向上には目を向けなくなってしまう。
なお、「学習する職場」になるためには、組織や担当業務の質を高めるための衝突(意見交換)が欠かせない。リーダーの指示の下で動くだけではなく、時にはリーダーと積極的に議論を戦わせなければ「学習する職場」とはいえない。だとすると、「きつい職場」と「学習する職場」の境目は、リーダーとメンバーの間に組織や仕事のクオリティを良くしていくことへのコミットメントが醸成されているかどうかにある。そして、メンバーとのコミットメントの醸成後、リーダーがその状態を維持していくには、メンバーに対して感情的に厳しく指導することを避けると同時に、メンバーが成し遂げたい自身のキャリアや組織の業績目標と紐づけて指導することが重要である。
今後のリーダーの役割は、高い基準をもって仕事に向き合うことが当たり前になっている文化を醸成し、高い基準で働くことによるリターン(顧客からの高い評価や感謝)に喜びを感じる組織風土を作りあげることである。それによって、チームメンバーは自身の仕事に誇りを持ち、組織全体のクオリティ向上に寄与することができる。
また、チームメンバーに対してタスクの目的感だけでなく、顧客が求める水準や満足度についても明確に示すことも重要である。仕事の基準設定を通じて、組織全体で一貫したクオリティを追求し、顧客の期待に応える。そうすることで、現在の可もなく不可もない働き方をする人がマジョリティではなくなり、「学習する職場」が形成されてくるのである。
現場のリーダーによるハラスメントや過重労働などを強いるマネジメントはあってはならないが、メンバーに配慮(遠慮)しすぎると肝心のマネジメントが成立しない。リーダーがすべきことは、組織や個人の持続的な成長をメンバーと合意し、それが組織の文化として定着させることが「学習する職場」への第一歩となるだろう。
deer
参考文献:『心理的安全性のつくりかた(石井遼介著)』JMAM
PMIコンサルティングでは、企業の人と組織を含めた様々な経営課題全般、求人に関してのご相談やお問合わせに対応させていただきます。下記のフォームから、またはお電話にてご相談を承っております。お気軽にお問い合わせください。